自分の病気。そして今回の入院まで(ちょっと長いです)

 まずはストレートに病名を。

 

 白血病ですね、はい。

 隠す必要もない。

 一応、急性リンパ球性白血病(リンパ腫)という病名になります。

 初発は前回の記事の通り、リンパ芽急性リンパ腫という骨髄には悪性の細胞がいない状態で発病して、治療後再発で白血病化した感じです。

 

 しかも、これ初発がもう忘れたわってくらい大昔で多分白血病化したのは2000年だったような気がします。(少なくとも移植後17年以上は経ってる)

 

 じつは、この再発してたんだろうな~ってタイミングの時は自分4トントラックで鋼材を運ぶお仕事してまして、おそらくこの時点で貧血などの造血障害があって半分意識朦朧となって短期間に2回追突事故起こしてます。

 

 2回目の事故の後にちょうど定期的な通院にて、なんと通常の採血データの半分以下のデータという超異常事態だったらしく、がんセンター時代主治医のK先生から

「いつから入院できますかと聞かなければいけないくらい、血液のデータは悪いです。今すぐ輸血しなければというほどでもないけれど、2週間は開けられません。」

 おいおい、いきなりかよと思いつつも、なんとなく立ち眩みもそのころは自覚してた時期なので、おまかせしますと予定を一任して、父親に連絡して入院準備して後日入院、そして抗がん剤と、弟から造血幹細胞をもらって移植。

 

 ここから、ほ~んとにこの白血病の症状今回2020年までい~っさいなし(笑

 

 そして、病気治療が一応区切りがついたタイミングで、父親が今まで東京で仕事をしていたんですが、セミリタイアのような状態で早めに退職を決意して(考えれば自分の病気のことも考えて、環境を変えてくれたのかなぁとか、ここ最近思います)、父親の地元である大分県に戻りました。

 

 まぁ、その時のステロイドパルス治療による後遺症で、大腿骨の骨頭壊死(先日千原ジュニアさんがなって、手術された奴です)で、年をずらしつつ両足の大腿骨を人工関節に置換する手術うけたりしながらも、好きなジャンルで仕事をしながら過ごしてました。

 2008年ごろに、元々の出身である関東に戻って、前に働いていた会社に戻ってこないといわれるまま、千葉県市川市の営業所に所属して、運転手兼運行管理者にて2011年まで、もう一つの鹿嶋営業所と行ったり来たりしながら2011年3月11日の震災後まで働きます。

 この間に父が他界、肝臓の病気である劇症肝炎でした。

 原因ははっきりしなかったけど、元来体が丈夫で医者にあまり縁がなかったので、この時の体調不良の時も風邪程度に思って、色々市販薬を効かないからとあれやらこれやら飲んでしまったのも原因だったのかもしれません。

 5種類くらいあった・・・・・・しかもすべてアセトアミノフェン含有の感冒薬。

 

 前述したとおり最初の白血病の時は、弟から造血幹細胞移植を受けさせてもらい、もともとの白血病は20年近く実質なんの兆候もない「社会的な治癒」の期間をもって、2019年に右の下顎が腫れ始めておかしいなと思いつつも、放置してたら今度は右の頬部が腫れまくって顔の形が変わるほどに。

 それでもまさか、リンパ腫は疑わなかったんです。

 実は千葉にいたときの歯科での治療があまりにもお粗末だったこともあり、右側は常に口腔内の環境がわるかったので、そこから来て、副鼻腔にも何か膿みがたまってるんだろうくらいに。

 近所の歯科にて見てもらうと、ちょっとこれ大きな歯科口腔外科で見てもらったほうが良いよとのことで、自分が大分県立病院の通院歴があるということを伝えると、県病の歯科口腔外科に紹介状をかいてくださり、翌年2020年1月に県病歯科口腔外科に受診。

 入室した瞬間から、先生もはやびっくりな様子。

 速攻CT撮りましょう!造影剤も入れて撮りましょうとのことで、CT撮影。

 画像を見た瞬間、「右副鼻腔内は腫瘍状のもので充満していて、それが頬骨を破壊しながら押し広げている可能性があります。」

 

「このまま耳鼻咽喉科に受診してもらいます」

 

 恐ろしいキラーパス(しかもこの時点で18時)。

 

そして、耳鼻咽喉科が歯科口腔外科と同じ場所の奥っていうね(^^;

 

なにするんかなぁ~と思ったら、

 

そのまま口の中から右の頬っぺたを電気メスで切られて、組織とられるっていう地獄を味わう羽目に。

 

 痛いよ~とはなったけど、まぁ痛いわな~とか言いながら手術されてたんですが、終わった後に言われたのが

「男の人は7割やってる間に失神するけんね~、痛みに強いね~」

 

 褒められてもうれしくはない(=”=;

 

 あぁ。。。。。。

 疲れたから、いったんここで切ろう・・・・・・・